Haeundae
崔ヨンチョル 詩人
自然が育み、釜山市民の気質が作り出した釜山の代表的な飲食物。
人類が生存するため必要不可欠なものが衣食住とすれば、その中でも最も重要なものは何だろうか。
私共の長久な儒教的慣習では衣冠を整斉することがその最たるものであるが、果たしてそうなのであろうか。
食べ物をその真ん中に置いた衣食住という語彙には品位と体裁を重視した儒教的虚勢が垣間見えるようだ。
妻子は飢えようが飢えまいが只管に字句のみを重要視して 白面書生の固執のような物が胡坐をかいている様に思われる。
人生最大の安楽、食べる楽しみ。
衣と住は大部分を占める物が品位に関しているが、食は生存に関しているのである。
食べずに生きてゆく方途はなく、食べる楽しみが姿を消せば人生は無味乾燥な物になるだけである。
先端科学は錠剤一粒で何日かは生き延びられる代用食を商用化するであろうが、それを大衆化することは難しいであろう。
人生最大の安楽である食べる楽しみを失うからである。
地域民の気質が潜む郷土飲食
国ごとに、地域ごとに固有する飲食が有り、同じ材料であっても調理する方法によってその味が異なってくる。
わが国も矢張り地域ごとに美食家達を誘惑する郷土飲食があった。
地方の特産物と気候条件等を勘案して定着した郷土飲食に接する度に先祖の知恵に感嘆するのである。
その中で慶尚道の飲食は東海と南海を抱き山岳地帯に囲まれているので国内の他地域より食材が豊富である。
なかんずく釜山の住民は活魚の刺身と海産物を好んで食し、おもに塩っぱくて辛い食べ物を選好する。
食性は個人の体質のみならず、特定地域の住民が共有する気質的特性が作り出す要因でもある。
地域の特産物を生育する自然条件とそれを摂取して生きて行く地域民の特質がワンセットになっている事である。
釜山の自然条件, 食べ物, サッパリした釜山市民の気質は別個の物でなく共に肩を組んでいるワンセットなのである。
韓国八道の飲食を釜山の味に再創造
釜山市庁のホームページには釜山の珍味に次の様な飲食を紹介している。
活魚の刺身、河豚じり、海鮮鍋、焼き貝、鮟鱇蒸し、東莱パジョン、鰻の蒲焼、盲鰻の蒲焼、浅蜊、鴨のブルゴギ、ガルビ、グッバ(汁かけご飯)、ミルメン(小麦粉の麺)、ナッジボクム(蛸の辛蒸し鍋) などである。
全て釜山市民が好んで食べる飲食物である。
その中には釜山で生まれた飲食もあり、釜山でなければ食べられない食べ物もある。
厳密に区分すれば釜山の土俗的な食べ物には地域の名称が付いている東莱パジョンだけだと思われるが、然し東莱に属した小さな入り江であった富山(釜山)で品格ある伝統的食べ物が生成され伝承して来たと言う望みは過度の期待であろう。
釜山の飲食文化は数百年継承して来た伝統に依った物でなく、開港と光復(解放独立)、特に韓国動乱以後に八道(全国)の住民が入り混じって暮すようになってから自然に定着した全国の飲食が釜山式に変形しながら定着した可能性が大きい。
それならば、釜山に定着した全国の飲食物は本来の味と格式を超えて釜山が再創造した事になる。
軒並みに平壌冷麺という看板を掲げていても平壌のそれとソウルや釜山のそれとは何処かが違うからである。
釜山の代表的飲食物…
豚のグッバ・活魚の刺身・東莱パジョン
とは言え、何種類か釜山の代表的飲食を選ぶとしら、私は東莱パジョンと共に活魚の刺身と豚のグッバを取上げたい。
大海に面した国際的港湾都市であるから活魚の刺身は除く事は出来ず、闊達な釜山市民の気質を勘案すれば豚のグッバも除外することは出来ない。
東莱パジョンには糯米・分葱・芹・ 蛤・ 貽貝・牡蠣・海老・貝の剥き身・
牛肉・卵・鰯・昆布など十種類以上の食 材が入る。
全て釜山近辺から求められる物である。
主材料の一つである分葱は機張の特産物 で、芹は彦陽で収穫したものである。
この様に新鮮な海産物と良質の農産物を混ぜて作り出す東莱パジョンは漁業と農
業が可能であった東莱、釜山地域の地理的特性が生み出した特産物であった。
パジョンが他地方にも無かったと言うのではないが、小麦粉ならぬ糯米粉に海産
物を入れた東莱パジョンは独特な材料配合と味で全国的に名声を馳せている。
ある文献に依れば東莱パジョンは対日外交と軍事上の要地であった 東莱に出入り
した高官らを接待するため、会席に出された高級料理であったと記されている。
多様な材料と揚げ物にする手数を考えると貴族的な食べ物であったらしい。
東莱地域の高級料亭に使われた東莱パジ ョンが大衆メニューとして頭角を現し始めたのは1960年代頃だと言われている。
清々しく清潔な刺身、 汗の雫が垂れるほど熱い豚グッバ。
活魚の刺身の味は一言で云えば活きてばたつく躍動感とひやひやした歯応えのある風味にある。
それは腹を膨らませる為の食べ物と云うよりも五大洋のうねる波濤を抓み食べる粋な食べ物と言えよう。
山間の住民が一時期の間、山菜の青菜を食べないと口が変に成ると謂う様に、釜山の市民も矢張り刺身を食べないと味覚が変に成る。
もう一つの食べ物、豚のグッバもまた釜山市民の気質とハーモニーする。
釜山市民と豚のグッバは野性的な面が共通分母である。
素焼きの丼に入れた熱い豚のグッバと辛い唐辛子と大蒜、韮、葱は絶妙な相性を発揮する。
その具たちは互いに疲労を駆逐し慰労して垂れ下がった肩をぐっと引き戻す 。
その力で妻子を養い、ともすれば垂れ下がろうとする肩を引き立たせ、暗い歴史を再び明るく取り戻したのである。
その様に熱い一杯の飯で再び立ち上がり希望に満ちた新たな道を開いた。
汗が雫になって流れる程の熱い豚のグッバ一杯, 澄んで清潔な刺身一皿, 小奇麗な東莱パジョン一箸に活力を得て釜山は更に明るい希望に満ちた未来に向けて遠路を力強く馳せて行くのだ。
*Silver日本語通翻訳奉仕会 翻訳*