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海の囁きが耳を快く擽る

2010-02-05 1123  ヒット
内容

海を臨めば目が愉しく … 絨毯道に足裏は逸早く楽しむ
崔ヨンチョル 詩人

釜山に暮す楽しみは直ぐ傍に海原が広がっているということである。
遠くから眺める海でなく、思い出して憧れる海でなく, 直に肌と触れ合って一つになることにある。目の前に、脇に抱えて、肩を組み合って歩めることでのことある。
釜山にはその様な愉しみを百倍にも千倍にも楽しめる海岸プロムナードが此処彼処に沢山ある。

<釜山に暮す愉しみ - 海岸プロムナード>
地下鉄2号線の冬栢駅1番出口から冬栢島方向に足を運んだ。右手のアパートに沿って5分程歩くと朝鮮ビーチホテル前の十字路信号に出会う。直線と対角線に連なる横断道路はたった一度の信号でどの方向にも渡って行けるスクランブル交差点である。全方向の全ての車両が一斉に停車し、歩行者はどの方向にも自由自在に渡れる。

あちこち視線を巡らすこと無く、足早に渡る必要も無い対角線横断道路で私は共存の平和を知った。長い間我々の道は自動車中心であった。 車が優先で人間は後回しだった。それが今になって徐々に人間中心に変わって来た。人間と車両が平等になって来た。

冬だからなのか、冬栢公園入口の小鳥の啼き声が寂寥感を一入深くする。 澄んで冷やかな潮風が汚染された都市の空気を洗浄するかの如く海からの風は新鮮だった。脇に滄海を抱え絨毯のように柔らかなプロムナードを歩んだ。スポーツスタイルの女人が絶え間なく、そして力強く腕を振りながら後ろの方向にバックウォーキングしている。彼女の後退歩行は長期間の修練の為か熟達しており、少しの乱れも見せず殆ど走るような速度に近かった。

<絨毯のように柔らかなプロムナード>
後退歩行はそう簡単なものではない。見えない背後の道に対する躊躇いと怖気を信頼に変えてこそ可能な事なのだ。冬栢公園の海岸プロムナードはそれ程信頼して身を任しても安心出来る道だ。自動車は絶対通れない道で, 地面は躓いて倒れても怪我をしない様な素材で作られている。それに4車線に近い幅なので余程のことでない限り人々とぶっかり合うこともなさそうだ。

海岸プロムナードは五感を同時に刺激する。限りなく広がる蒼い視野は瞳を楽しませ, 爽やかな風に吹かれながら地面を踏む愉しさは足の触覚を刺激する。爽快な潮の香りは嗅覚を満足させる。食欲を覚えると塩っぱい味覚が、ザアッと寄せては聴覚を快くしてくれる潮騒。何処に行ったらこの様な幸せを味わえられるだろうか!。

ヌリマル APECハウスを過ぎり、新年の元朝に釜山で最も広々とした道を歩いたら、胸が晴れ晴れとして爽やかだった。灯台下の眺望台で雲の切れ間から海を見下ろしているお日さまを見た。 太陽を囲んだ雲達が 温かい綿布団みたいだった。向こう側、手が届くほど近くにどっしり構えた五六島が見える。広安大橋の下を通り過ぎる漁船が一隻目に入る。 灯台に寄り添って海原を眺めたり、灯台の此処彼処に書き込まれた恋人達の落書きに見入る。ハート模様の中に書き込まれた男女の名の落書きを羨ましげにしばし見入っている私だった。

<五感を刺激する路上歩行の愉しみ>
「私達の初旅行 釜山1泊2日」「愛します永遠に…」 「貴方に会えた現世 これ以上の願いはありません」
私にもあの様に胸を焦がしたことが有っただろうか。しばし鼻柱がジーンとした。 そうだ私にもあれほど熱く燃えた日あったよ。履物を脱ぎ捨てて海に飛び込んだ青い日があったな…!! 灯台の直ぐ傍に外国の若い男女が手を握り締めて暫く魅了したように遥か沖の水平線を見詰めていた。階段に沿って早々と街灯に明かりを点した海岸のプロムナードを下りて行った。岩の絶壁前に揺らぐ吊橋を渡って行く時は肝を冷やすほど慄いた。大勢のアベック達がこの吊橋を渡って愛の入口に踵を運んだことだろう。老い込んだシングルの男がこの道を通るのは尋常では無いと言うのか、一歩また一歩足を運ぶ度に吊橋は激しく悶える様に揺れていた。

その様にやっと吊橋を渡って、心虚ろに海原を見詰めている人魚像に出会った。淋しく哀れな姿だった。独り海を訪ねてきた男と独り寂しく海原の彼方に居る誰かを待ち焦がれている人魚像が同床異夢のように思われた。侘しさは同じでも夢見るものは異なる。

この人魚像は1974年に初めて設置されたが、1987年の台風セルマに依って流失し、1989年 高さ2.5m, 重量4トンの青銅人魚像に再設置されたものだ。 冬栢島の人魚像には童話のような麗しい伝説が伝わっている。人魚の国ミランダ国から無窮国の恩恵王に嫁入りして来た黄玉王女が満月が昇る夜になると?玉(月)に写り映える故国を偲んだという伝説である。この黄玉王女を印度の阿踰陀国王女で大伽耶国金首露王の王妃になった許皇后と見做す郷土史学者もいる。

<多様な歴史?文化遺跡も見逃せない>
冬栢公園内には新羅末の大学者 崔致遠の銅像と遺跡もある。乱世を避けて海印寺に行かれる途中、此処の絶景に魅せられて感嘆し石を積み上げて壇を造り、海と雲を吟味して岩に刻んだ名称が「海雲臺」であった。 崔致遠を崇める事業は先生が留学して5年程官吏生活をした中国でより活発であった。江蘇? 楊州市は中央政府の支援を得て崔致遠の銅像と記念館を建立し、TVでは崔致遠のドキュメンタリーを制作して放映した。
冬栢公園を一周り廻って戻ってきたら日は落ち黄昏が濃くなって来た。 今丁度、観光バスから下り立ったような一群の観光客を男性ガイドが引率して案内していた。海を見下ろしながら、あそこが有名な海雲台海水浴場で、此処が冬栢島だと説明すると観光客はしきりに頷いていた。新たな一年の始め, 佳麗な海岸プロムナードをそぞろ歩みながら人々は各々の夢を胸深く刻み込むであろう。そしてその夢を受け継いだ華麗な椿が咲き誇るであろう。

<Silver日本語通翻訳奉仕会 翻訳>